朝、起きてみるとやはり天気予報の言う通り雨であった。しかも本降りであった。
急いでホームへ向かう。7時40分頃に鶴岡駅に着いた。すでに酒田行きは、停まっていた。降りる客が意外と多いようだ。改札を抜け、酒田行きに乗りこむ。キハ47系で、ロング、ボックスの順の4両編成であった。もちろん、ロングは最悪なので、ボックスシートに座る。乗客は、高校生が数人いる程度で、ガラガラであった。7時46分定刻に発車した。
やはり気動車の為、加速は遅い。複線や単線が混在する区間であった。線型が安定しているのか、スピードを出すところと、出さないところの差が激しかった。遅い所は、スローペースであった。余目には8時05分に到着した。まだ陸羽西線の列車の時間には、余裕があるので、改札を出て、朝飯を確保した。反対車線では鼠が関行き、キハ100系の普通が来た。鶴岡に行く客なのだろうか?かなりの高校生を乗せて出ていった。そして、ガラガラの酒田行きの方も続いて発進した。それを見た後に、陸羽西線のホームに向かう。
8時20分、快速「最上川」がきた。キハ100系の2両編成であった。1両目は、1−2のボックスシートであるが、2両目は、進行方向左側の座席だけが転換クロス型になっていた。しかし、転換ではなく、最上川が見える配慮なのか、左斜めに座席が転換出来るようになっていた。そのため、そのような座席配置にして、最上川の眺めを楽しもうとした。しかし、雨はやむ気配が全くなかった。
8時28分、狩川駅に着いた。しかし、乗り降りする客は少なかった。ここには、大きな風車を発見した。風力発電なのだろうか?最上川の近くにあった。次の清川駅を過ぎるとトンネルが現れて、山岳地帯を走り始めるようになった。高屋駅からは、最上川が急速に寄り添ってきて、並行して走り出した。これで、より最上川の流れを楽しむ事ができる。しかし、大雨で増水しており、きれいには見えなかったのだが…。隣のボックスでは、地元のおばあちゃん達が会話をしていた。だが、何を言っているのか全く分からなかった。この方言こそが、山形に来たんだ、と実感できる光景でもある。川には、船もあり、川下り用なのであろう。しかし、この天気では、船下りどころではないであろう。8時45分、古口駅に到着しようとしたとき、すごく長い警笛の音がした。どうやら直前に横断をした奴がいるのであろう。でも、何事もなく到着した。ここは、最上川下りの玄関口の駅である。ここで、たくさんの乗客が乗り込んできた。
反対のホームには、下り列車のキハ100系、酒田行き普通が停まっていた。向こうの先に発車した。古口を出て、最上川から次第に離れて行くようになった。それと同時に山並みも消えていき、新庄市街に入っていった。加速は、キハ100系だからか、全体的に速いスピードであった。単線の奥羽本線が近づいてきた頃に、新庄終点のアナウンスが流れた。8時59分定刻に新庄駅に到着した。線路は完全に分断されていた。この分断で有る意味バリアフリーになっているのであろう。階段などの障害がないから、乗り換えには楽であろう。
新庄駅1番線のホームには、すでにE3系の東京行きの「つばさ」が停まっていた。E3系は秋田新幹線乗車以来である。やはり新型の為、快適な乗り心地である。隣の広軌ホームには、719系の山形行きの普通列車が止まっていた。あちらは、まだたくさんの空席があった。自由席は半分くらい埋まっていたので、安心して席を確保する事に成功した。E3系の車体や駅名を撮っていると、奥羽本線の秋田方から、701系の普通列車が到着した。この「つばさ」に乗りこんでくる客も多かった。禁煙の自由席は窓側は全て埋まり、通路側もほとんど埋まる状態になっていた。かなりの乗車率である。一方、喫煙の自由席を覗くと、まだ空席がたくさん残っていた。基本的に、喫煙席は空いているようだ。
9時09分定刻に「つばさ」は、出発した。さすがに、加速は鋭い。あっという間にスピードに乗り始める。自由席のシートピッチは91センチであるが、そんなに狭い感じはしなかった。新庄を過ぎ、しばらくすると、陸羽東線が離れていく所を見た。明日の夕方はあちらから新庄に向かうから、かなり大回りの旅になりそうだ。新庄から村山までは、減速する事が多かった。平坦な路線が少ない為であろう。平野部かと思っていたが、結構山道を走っていたようだ。天童駅で、禁煙自由席は、ほぼ満席となり、デッキに立つ者さえ現れた。喫煙が結構空いていたのであるが、今はどうであろうか?天童から先は、ほぼ平坦な直線区間、スピードもトップを出している事がよく分かった。
山形到着の案内が流れた。今日最後の快適な特急の旅が終わる。約50分は、あっという間であった。減速し始めたので、デッキに向かったが、どうやら小さな駅に到着した。よく見ると、北山形駅であった。列車の行き違いという事を車掌が言った。そういえば、山形駅では、1線しかないので、行き違いは出来ないのであった。その事をすっかりと忘れてしまい、約3分間、立って待っていた。左沢線のホームを見ると、何やらリゾート車両らしい列車が停まっていた。左沢線で見られるのであろうか?そして、反対列車が来た。右側通行なのか、左側の車窓から、400系の「つばさ」が通過していった。動き出してから、乗換え案内を車掌が行っていた。9時58分山形駅に到着した。ここで、3割程度が下車した。しかし、乗る人もかなりの列を作っていた。
次の左沢線の時間まで一時間半あるので、山形駅付近を散策しようとした。しかし、まだ雨が強く、そう遠くへは行けないので、山形城跡が近くにあるので、そこを散策する事にした。新幹線ホームの近くには、立ち食いそばならぬ立ち食いのいも煮を見つけた。ここに来たのだから、ぜひ賞味したいものである。まずは、改札を抜ける。ここの駅も新幹線のホームだけは、自動改札である。ゾーン券だけで処理をしてくれる。まずは、西口の方から出る事にした。
外に出ると、大雨となっていた。西口の方は、建物があまりなく、駐車場が多かった。駅付近図を見て、山形城跡の場所をチェックする。場所を判明し、すぐに目的地へ向かう。南門からが近い為、そこから山形城跡に入ることにした。しかし、工事中で、一瞬は入れないか?と思っていたが、仮通路というのがあり、なんとか通る事ができ、お堀を渡って、入ることが出来た。しかし、城跡には、かなり距離があるため、歩いた。
疲れが見え始めた頃に、お城には必ず見かける門を見つける事が出来た。すぐに降りていき、見に行くと、間違いなく城跡の場所であった。広場の真ん中には、馬に乗った人の銅像があった。一瞬、伊達正宗か?と思っていたが、最上義光という名が書いてあった。聞いた事があるような名前であった。ここで、カメラを撮って、山形駅に戻ることにした。今度は、反対側の門から通ることにした。メイン道路沿いを歩いて帰ることにした。東口側のほうは、商店街やビルなどが立ち並び、にぎやかなようであった。だが、工事が盛んに行われており、地下通路まで仮通路となっていた。今後はもっと発展しそうである。
11時過ぎに山形駅に到着した。ここで、荷物を持ちかえり、みやげ物を見ながら時間をつぶし、15分頃にホームへ入った。自動改札を通過しようとしたが、駅員に止められ、切符を見せて、在来線のホームに入った。在来線は自動改札ではない事を知った。ある意味恥ずかしかった。すでにホームへ降りると、6番線にはキハ100系が、7番線には719系の仙山線の列車が停まっていた。
まずは、左沢線乗車の為に、キハ100系の左沢行きワンマンカーに乗りこんだ。乗りこむと何かすっきりとした座席配置。そう、オールロングシートであった。しかもトイレもない。まるで、JR西日本のキハ120系を思い浮かぶ車両であった。キハ100系にもこんな車両があるなんて…。ショックを引きづったまま、乗りこんだ。結構乗客が乗り込んでいた。反対ホームの仙山線の方は、ガラガラで昼に近いのか、駅弁を食べている客を見つけた。ボックスシートだったら、間違いなく、購入しているのに…。と思ってしまう。発車時間が近づくに連れ、ロングシートはほとんど埋まってしまった。
11時半、定刻に左沢行きは出発した。加速はさすがに、新型だけあって早い。北山形で、高校生が降りるが、また同じくらい乗りこんできた。北山形を出ると、すぐに奥羽本線と仙山線と離れる。高架を下ると、果樹園が広がってきた。確かに自称フルーツラインと言うだけはある。ローカル線の典型で、終着駅に行くに従って降りる客は多いはずなのだが、意外にも降りる客が少ない。左沢線は盆地の中をひたすら走っていた。線路の両端は果物畑がいっぱいあり、車窓をある意味楽しませていた。
左沢線の中心駅、寒河江駅に着いた。反対側のホームには、上りの山形行きのキハ100系が停まっていた。向こうは、かなり空いていた。帰りはあの位の乗車率となるのであろう。寒河江は工事をして、完成間もない為、近代的な作りであった。改造前も見てみたかったが…。羽前高松を過ぎると、盆地が果ててきたのか、山が迫ってきた。柴橋に着くと、山のそばにある駅という感じになっていた。柴橋を出ると、トンネルに入り、一気に山岳地帯へ。トンネルをいくつか過ぎると、最上川が見えてきた。そして、勾配を下っていくと、先ほど、北山形で見たリゾート列車が待避線に見えてきた。そこが、終点の左沢であった。
左沢駅もきれいになっていた。リゾート列車の名前は、「ヌーボーワイン号」という名前であった。どうやら、今日が臨時列車の運転日であった。とりあえず、駅舎と車両をカメラに撮った。雨は小雨程度に落ち着いていた。しかし、さすがに月山は、見えなかった。ヌーボーワイン号は、特急型のリクライニングシートに、車端部には、テレビがついていた。どのような車両のか、詳しくは分からなかったが、一度乗ってみたい車両でもあった。すぐに、ホームに戻り、今度は、2両目に乗りこむ事にした。さすがに空いていた。前の列車で結構空いていたから、終点までは、さほど混む事はないであろうと予想していた。
12時31分定刻に、発車の合図もないまま、出発した。今度は、時速をチェックする事に、最高速でも85キロのようだ。結構出しているようであったが、実際は、遅かった。列車は順調に進み、西寒河江に着いた。ここには、部活帰りの高校生が大勢乗りこんできた。ロングシートも半分以上が埋まってしまった。今日は、土曜日、しかし、第4土曜日だから、休みではないか?と思っていた。
12時45分寒河江駅に到着した。なんと、ものすごい客の量だ。しかも、中学生や高校生くらいの子供がたくさん乗りこんできた。たちまち立ち客が出るほどの混み具合となってしまった。この混雑には驚いてしまった。このような状態ではろくに風景も見る事が出来ない為、速度チェックや子供たちの会話を聞いてみた。さすがに老人のように、ほとんどが理解不能と言うわけではなかったが、一部で分からない言語を言っていた。子供たちにも方言は生きていると言う事で、なんとなく安心した。13時08分に北山形に着いた。やっとここまで来たという感じだ。しかし、ここで反対列車の行き違い。しかも反対列車は遅れて到着した。反対列車の寒河江行きも高校生などの通学生らで混んでいた。先に、寒河江行きが出てから、こちらも出発した。定刻より少し遅れて、山形駅に到着した。
反対のホームには、仙台行きの719系の快速が停まっていた。客はまだほとんどいなかった。6両編成で、真ん中の車両を陣取った。集団お見合い式のボックスシートで、それなりに快適である。東北地方では、一番快適な車両である。発車時刻になっても乗客は増えなかった。13時32分定刻に出発。さすがに719系は快適である。
北山形、羽前千歳と各駅に停車し、すぐに奥羽本線と離れる。仙山線の最初の駅、楯山駅で対向列車と行き違いのために、運転停車があった。しかし、定刻になっても出発する気配がない。すると、対向列車が遅れていると言うアナウンスを流した。しばらくしてから、反対列車が通過していった。すぐにこちらの方も動き出した。次の高瀬駅を過ぎると、いよいよ山の中に入っていった。まもなく山寺である。雨はまだ降っており、これは、最悪な山登りになりそうだと思った。定刻より遅れて山寺に到着した。
ここで、降りる人もかなりいたようだ。一番前の出口から降りていく。山寺の駅舎は工事をしており、改装中であった。そのため駅舎を撮る事をあきらめ、立石寺を見た。しかし、山頂の方は、霧がかかっていて、下を覗いても何も見えないだろうな、と思った。
駅を出て、すぐの食堂で、杖を借りる事が出来た。これで、階段を登る時はかなり楽になった。これは、ラッキーであった。杖をつきながら、登山道へ向かう。土曜日だからかなり多いかと思っていたが、天候が雨のせいなのか、かなり空いていた。土産物屋もあまり繁盛していないようだ。団体客の量も思っていたより少なかった。しばらく歩いていくと、登山道にたどり着く。
1015段の階段を登るには、料金がいるのは知らなかったが、参拝する為には、仕方のない事、お金を払い、階段であがっていくことにした。さすがに、運動不足の身にはつらかったが、杖のあるおかげで、登りは途中までは平気で行けた。しかし、半分を超えてくると、雨と汗で、かなり疲れが出てしまい、ヘトヘト状態となってしまった。展望台にたどり着いたときは、汗を拭くのに精一杯の状態であった。展望台から下を覗くと、やはり霧で見えなかった。しかし、山頂付近では雨は降っていなかった。これが上と下との差ではないのか?とりあえず、一番上の寺まで行くことにした。奥院が最終であった。やっとの思いでたどりついたと言う感じであった。約40分ほどかかってゴールしたと言う事になった。
少し休憩して、今度は下山である。さすがに疲れており、降りるのにも大変であった。でも、自分のペースで降りていくと、すんなりと降りれるのだが、前に人がいると、ペースが乱されてしまい、余計に疲れがたまってしまう。帰りは20分ほどで下山に成功した。さすがに下りは早い。やはり、休憩は必要と思い、すぐ近くにあった食堂で、休憩する事にした。名物の力こんにゃくを買う。しょうゆに漬け込んだピンポン玉サイズのこんにゃく4つを串にさして、からしをぬって食べる。久々に食べる味であった。
しばらくの間、休憩した後、杖を返す為に、駅近くの食堂へ行くことにした。もちろん、芋煮賞味の為もその理由である。杖を返して、食堂へ入った。山寺有名なそばと山形県で有名な芋煮の両方を賞味する。さすがに、芋煮やそばは良い味だった。苦手なサトイモでもおいしく頂けた。食堂で休憩後、今度はお土産を買いにいく。さすがに夕方近くになっていた為に、観光客も少なかった。ツアー客のバスもほとんどなく、土産物屋も店じまいしている所が増え始めていた。無事に土産物をGETし、17時前に山寺駅に戻った。すでに雨は止んでおり、曇りの天気だった。
山寺のホームは1面2線のホームであった。駅員がいなかった為、そのまま素通りで駅に入った。しばらくして、山形行きの快速が到着した。719系の6両編成であった。乗客は少なかった。17時10分、仙台行きの快速が到着した。こちらも719系で6両編成であった。乗車率は、ボックスが1人ずつ埋まる程度であった。すぐに発車。どんどんと山深くなっていく。約10分で面白山高原に到着。ここは、1面1線の駅であった。標高は400メートルを越えていた。発車すると、すぐにトンネルに入る。仙山トンネルである。これを抜けると、宮城県仙台市となる。トンネルの中には、信号所があり、単線である事が分かる。約5分でトンネルを出る。すると、先ほどよりもさらに山深くなっていた。紅葉の時期だときれいなのであろう。
面白山高原から約10分で奥新川に到着。駅名には仙台市青葉区と書いてあり、県庁を結ぶ列車である事がよく分かる。次の作並駅は、2面3線の駅であった。ここから1時間に2本の割合での運転となる。反対のホームには、719系の普通列車が止まっていた。仙山線もつい最近までは、急行型の455系が目に付いていたが、今ではすべてが719系に統一されているようである。作並を出ると、山が次第になくなってきた。しかし、夜が支配した為に、景色もろくに見えなかった。ここから本格的な快速に変わり、スピードも上がり始めた。
愛子に着いた。ここは、今では有名になってしまった駅である。ここから市街地が広がり始め、都会的な風景となってきた。北仙台に停まり、終点の仙台には、18時07分に到着した。さすがに東北随一の都市である。ホームがたくさんあるので、新潟駅以来のホームの多さである。すぐに利府行きのホームへ向かった。
利府行きは、455系の急行型で6両編成であった。さすがに夕方のラッシュなのだろうか、たくさん乗りこんでいたが、ボックスシートとロングシートがほぼ埋まる程度であった。土曜日の為、この量だと、そんなに混んでいないのであろう。折り返し列車の為、人の熱気がすごい。そのために窓を開けた。急行型ならではあろう。今の新型車では、窓開けは無理である。18時05分定刻通りに発車した。さすがに先ほどの719系に比べると加速は遅かった。ただ、急行型ならではの乗り心地である。東仙台、岩切でほとんどの乗客が降りていく。仙台車両区を見ると、701系や455系、719系などがあり、特急型車両を見つける事はなかった。岩切を過ぎ、利府線の方へ入ると、左手に新幹線の車両基地が見えてきた。200系やE4系など、さまざまな車両を見る事が出来た。1面1線の新利府を過ぎ、終点の利府には、18時29分に到着した。
折り返しで乗る客は、少なかった。さすがに逆方向だからであろう。18時36分に出発した。ほぼガラガラの状態であった。新利府や岩切、東仙台でもあまり乗りこむ客は多くなかった。18時54分、今度は3番線に停まった。しかし、折り返しの利府行きを待っている乗客は少なかった。先ほど乗ったのは、なぜ混雑していたのであろうか、と言うほどであった。
次に乗る仙石線の快速にはまだ時間があったので、仙台駅を散策する事にした。まずは、仙台で名物のずんだ餅に挑戦した。初めて知ったものだった。枝豆をつぶしたものであった。これを「ずんだ」というのは、知らなかった。新たな仙台名物を発見したのであった。ずんだ餅の店で時間をつぶし、仙台駅のコンコースなどにある土産物屋を散策した後に、駅弁を購入。
そして、仙台駅の仙石線のホームへ行った。地下深い所にあるため、エスカレーターを2度降りていった。ちょうどホームでは東塩釜行きの103系が出て行く所であった。まずは、あおば通りまで行ってから、仙石線の乗りつぶしが始まる。20時24分のあおば通り行きまで、まだ時間があるため、ベンチで座っていると、たくさんの乗客が降りてくる。さすがに100万都市である。なぜか次が終点のあおば通り行きの方にも、たくさんの列が並んでいる。一駅だけなのに、もったいない気がするのだが…。時間通りにあおば通り行きが到着した。さすがに半分以上が降りていった。すぐに出発。速度を上げることなく、すぐにポイントを渡って、終点のあおば通り駅に着いた。折り返しの快速は、反対側のホームに停まっており、今乗っているのが次は、普通列車になっていた。
あおば通り駅に着いて、驚いた事は、先ほどの仙台駅から乗った乗客半分が、反対側に停まっていた、快速に乗りこみ、そして、もう半分は、そのまま降りもしないで、折り返しの普通になる、この列車に立ち止まっていたのであった。なるほど、確かに仙台からは座れないからであろう。良い考えである。普段から乗りなれている人間のやる事であろう。しかし、無事に座席を確保した。103系の4両編成で、当然ロングシードでトイレも当然なかった。20時31分定刻に離れた。わずか1分で仙台駅に着いた。案の定かなりの人数がいた。しかし、その中で乗りこんでくるのが少なかった。これは驚いてしまった。ホームにいた3割ほどしか、この快速に乗りこまなかった。
仙台を離れた快速は、先ほどとは違いスピードを上げ始めた。まるで地下鉄のようである。地下の中でも通過駅は容赦なく飛ばしていく。さすがにトップスピードではなかったが…。陸前原ノ町を通過し、地上へ出た。一気に高架へと上がっていく。すると、仙台の町並みが見えた。すぐに苦竹駅を通過。今度は、地下区間よりもさらにスピードを上げた。103系でこんなにスピードを上げるのは初めてと言う感じであった。約10分で多賀城駅に到着した。ここで、かなりの乗客が降りていった。しかもかなりの量が降り、先ほどの混雑が一気に減った。多賀城を過ぎると海が見えてくるはずなのだが、さすがに暗いせいか何も見えなかった。わずか5分で本塩釜駅に到着した。高架橋の駅で対向式ホームであった。ここでも降りる人が多かった。しかし、さすがに快速は速かった。すぐにタクシーを拾ってホテルに行った。